「新しい授業の形」

2011/01/01 Sat 19:29

明けましておめでとうございます、さくらです。

昨年は、さくら進学塾の開設にともなって、皆さんからたくさんのお力をいただきました。
本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

元日の今日、朝日新聞の1面に「答えは対話の中に」という、学校教育に関する記事が掲載されていました。
記事の中で、教師が「1つの正解」を教えるのではなく、生徒たちとの対話の中で「多くの意見」を引き出していくという授業が、いくつか紹介されていました。

日本人は「1つの正解」に向かって進むのは得意でも、「解答のないもの」を見つけていくことは苦手であることはよく言われることです。
それは、高度成長時代から教育の基本構造が変わらないことの悪しき結果として、語られることも多いものです。

確かに、日本人が世界で戦っていくためには、「独創的な発想」と「意見を伝える力」が必要でしょう。
現在の学校教育には、それらを育むようなプログラムがほとんど存在していません。
将来の日本を支えていくために、そういうプログラムを試行錯誤しながら作り上げていくことは必須といえます。
それは、国や自治体のレベルでも、学校現場レベルでも行っていかなくてはならないでしょう。

ただ、「カリスマ」と呼ばれる教員の指導例を、盲目的に追ってしまうのはどうかと思います。
カリスマ教員の授業は確かに素晴らしいでしょう。
十分な実験を経てきているので、完成度も高く、成果も出ます。
しかし、その成果が「カリスマだからこそ」では意味がありません。

日本中のすべての教員が、その方法を実践でき成果を出せなくては、それは「絵に描いた餅」です。
教員の間にも得手不得手があり、能力にも差があります。
すべての教員が実践できて、それなりの成果を出せるように、「カリスマ」の方法を一般化していく必要があるでしょう。

そして、得てして、その作業の方が膨大な時間と労力を要するのです。
国、自治体、学校現場のそれぞれが、協力して方法を模索していかなくてはならないでしょう。
その旗振りが、現在の民主党政権や文部科学省に出来るのでしょうか。
民主党や文科省を動かしていくためには、教育は「国の礎」だということを、多くの日本人が再認識しなければいけないでしょう。

少なくとも、今までのように「教育は票にならない」という認識のままでは、成果の出る政策をまとめることは難しいでしょうし、それは再び「愚かな教育政策」として、子供たちの上に降りかかってきてしまうでしょう。


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