「菅野投手」

2011/11/28 Mon 19:28

こんにちは、さくらです。

北海道日本ハムからドラフトで指名を受けていた東海大学の菅野投手が1年間の浪人を決めた。
叔父のいる巨人でプレーするという夢を、あきらめられないからだという。

人は社会の中で生きる生き物だ。
生きているだけで、望むと望まざるとに関わらず「自分の幸せ」と「他人の幸せ」が入り交じってくる。
人は誰しも何らかの能力を持ち、その能力を発揮することで「自分の幸せ」を手に入れる。
同時に、その能力は「他人の幸せ」をも生み出していく。

能力などというと大げさだが、コンビニのレジで「笑顔で接客」できるだけでも十分に能力といえる。
その笑顔は、あなたに「賃金」という幸せをもたらし、客には「気持ちのよい買い物」という幸せをもたらす。

はじめは「自分の幸せ」を追っているだけだったとしても、客に「いつも笑顔をありがとう」などと言われることで、自分の能力が「他人にも幸せをもたらすことができる」ことに気づく。
そしてそれは、もう一段高いレベルの「自分の幸せ」となって返ってくる。
人は「自分による評価」よりも「他人による評価」のほうが「幸せ」を感じるものだからだ。

このように、それぞれが「他人に幸せを与える」ことで社会は成り立っている。
「人の気持ち」とは「社会がうまく成り立つ」ように作られていると思えるほどだ。

話を菅野投手に戻そう。

菅野投手は「自分の幸せ」が「他人の幸せ」をも生み出すことを理解できていないのではないか。
彼の能力は、普通の人の何百倍も何千倍も他人を幸せにすることができるにちがいない。
そして、それは普通の人の何百倍も何千倍にもなって彼自身に返ってくるはずだ。

残念なのは、そういう社会の「幸せの仕組み」を彼に教えてあげられる人間が周囲に誰もいなかったことだ。
「自分の能力」は自分のものであるようで、自分のものではない。

野球を教えるだけが野球のコーチの仕事ではない。
勉強を教えるだけが先生の仕事ではない。
能力の正しい使い方を教えるのが本当の指導者だろう。

今回の菅野投手の選択を見てそんなことを感じた。

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